【あの頃の記憶】川村ショップ|おんちゃんとゲームセンター編

仙台市若林区沖野にあった川村ショップのイメージ あの頃の記憶

仙台市若林区沖野六丁目に、かつて「川村ショップ」というお店がありました。

小学生の頃から通い始め、最後に訪れたのは20代後半頃だったと思います。

この記事は当時の記憶をもとにまとめているシリーズの【おんちゃんとゲームセンター編】です。
キラキラした思い出なので、細かな記憶違いもあるかもしれません。そこは情報をお持ちの方の情報と合わせて直していきたいので、ぜひコメントなどで教えていただけるとうれしいです。


川村ショップとは

川村ショップは、仙台市若林区沖野六丁目にあった個人経営のお店です。
今は建物はあるもののフェンスで囲まれていて、中の状況も全くわかりません。

駄菓子屋として利用していた人も多いと思いますが、私にとっては駄菓子屋という一言では表せない存在でした。
店内にはプラモデルが並び、ゲームコーナーもありました。 学校が終わると自然と子どもたちが集まり、いわゆるたまり場になっていて、それぞれが好きな時間を過ごしていました。

パンや文房具を扱う一般的な商店ではありませんでした。 もちろん、たばこやお酒の販売はなく、たばこを吸う人はいなくて、健全なお店だったはずなのに学校やPTAには問題のある店と思われていたような気がします。


ゲームセンター

ゲームセンターの入口

「おんちゃん」がレジのところに立っているのですが、そこを通らないとゲームセンターの中へは進めません。
最初の頃は入ってはダメっていう感じで中には入れさせてもらえなかった記憶があります。気が付けば同級生が入っていて、入っていいの?ってなった記憶がありますね。

おんちゃんの横を通るとアルミのドアがあり、そのドアのドアノブと棚をヒモか何かで結んで入口はオープン状態にしていて、そこのドアをくぐるとゲームセンターって感じでした!

ママポリス

小学校5年生くらいだったのかな?学校とかPTAとか見回りに来て怒られるまでがセットって感じの時もありましたからね。
今ではショッピングモールのゲームセンターなんかは日中なら年齢関係なく入れますからね。時代なんでしょうけど…

ママポリスって一般的な言葉だと思ったんだけど違うみたいですね。
多分、仙台弁なんでしょうね。おはよう靴下はTVの影響ですっかり有名になりましたが、ママポリスは仙台弁であっても死語かな~。
いわゆるPTAのお母さんたちの見回りで、見つかったら最後、即撤収って感じで別なところへ遊びに行く感じになってました。
今思えば、お店としては複雑だっただろうなと思いますよね。おんちゃんよく我慢したなぁ~って今更ながらにして思います。

ゲームは1回50円

今では1回100円が当たり前で消費税入れて110円のところを、やむを得ず100円という感じですが、当時は消費税もなくゲームは1回50円。
川村ショップには両替機はなく、その都度おんちゃんに「両替して」ってお願いしてましたよね!

画像ではゲームセンターらしい椅子がならんでいますが、瓶ジュースのケースをイス代わりにしていたような記憶もありますね。
実際はどうだったかな?途中で普通のイスに変わったのかな?

私が小学生の頃はテーブル筐体が中心でその後、時代とともにアップライト筐体へ変わっていった感じです。
当時、ファミコンの本体が入っているんじゃないかと疑うようなゲーム機もありましたね。

ゲームは頻繁に入れ替わっていたため、すべてを覚えているわけではありませんが、特に印象に残っているタイトルって言ってもキリがないくらいのゲームを楽しんだ感じがします。

ゲーム機は15台ほど設置されていましたね。正直それは適当な記憶ですが少ないって思ったことがないくらい充実していたと思います。
ファミコンがない家も多かった時代なのでそれはそれでよかったのかもしれないですが。


川村ショップの帝王

川村ショップには自称川村ショップの帝王が存在していました。彼は3人兄弟の真ん中で、家にもインベーダーゲームがあった気がします。

川村ショップに行けば必ずと言っていいくらいにいましたね。なので違和感なく帝王であったのかもしれないですね。
ただ、当時はだから何って感じでしたけど…

コレは本当の話か真偽は不明なのですが、その帝王の位を下級生に売ったという噂がありましたね。金額は今でも覚えていますが、本人もいるかもしれないので伏せておきますね。

帝王の称号を買った子はその後どうなったのかわからないですが真実が聞けたら面白いだろうなとは思いますが、あれからもう40年くらいかぁ。

強者たち

川村ショップにはゲームの強者たちもいました。

中でも記憶に鮮明なのが、「ツカニー」と勝手に呼んでいた同級生のお兄さんです。
テーブルゲーム機の『ツインビー』を遊んでいたのですが、古い筐体だったせいか、レバーは上・下・左・右にしか入らない仕様でした。
それなのに、「斜め」って叫びながら斜めに敵弾を避ける神業を披露していました!

それから1942の攻撃パターンを暗記している感じの同級生Jくんがいて、あまり操作をしなくても弾が当たらないという技を持っていました!
軌道を見切っていたんでしょうね。

あとは仲良しのHくん、彼のテトリス捌きを見たときに感激して熱中して観ていたことを思い出します。
その彼はのちにストリートファイターⅡでコントローラの裏側に昇竜拳ボタンがあるのではというくらいのコントローラー捌きでまたも魅了してくれたんですけどね。

当然ながらいい思い出は美化されるので神だったのか神業だったのかは今となってはわかりませんがいい思い出であったことには変わりありません。

ゲームセンターのゲームの低迷

ファミコンやセガマークⅢのころは完全普及でもなかったせいか影響はあまりなかったかもしれないですが、スーパーファミコンが出始めたころにはもうゲームセンターに通うというのは無くなってきたんじゃないかと思いますね。
そもそもゲームをしに行くというよりは友達がいるから行くわけで、そういう意味では年齢を重ねるとなかなか行かなくなるものです。

ある頃から、おんちゃんは遊ばれていないゲーム機の電源をこまめに切るようになりました。
子どもの頃は特に気にしていませんでしたが、大人になって思い返せば電気代を気にしていたのだと思います。
ただ、子供たちはハイスコアが消えるから消さないでとか言ってたような気がします。電気代っていうよりは家庭用ゲーム機の普及でゲームセンターでの売上は厳しかったと思いますね。

UFOキャッチャー的なのを導入するわけにもいかず、完全撤去するわけにもいかずおんちゃんの苦渋の決断だったのかなと思うと、やっぱり悲しいですよね。

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